『墓地には、彼岸花が、赤い布のように咲き・・・・』

『墓地には、彼岸花が、赤い布のように咲き続いていました。』<2017年9月30日8土)>
 「愛知県半田市では矢勝川の両岸を300万本が紅に染め上げる」。『天声人語』(170930)は、「ごんぎつね」(新美南吉)の故郷を紹介する。彼岸花を「『赤い布のよう』と書いた風景を再現しようと住民らが植えてきた」。そして、「文学に満々の自信を持ちながら、身体が弱く生活力もないという劣等感にさいなまれました」新美南吉は、「この世は苦難の連続だが、誠実に正直に生きよう。報われなくても孤独に屈してはいけない――。そんな信念が作品を貫く」と。
 (JN) 南吉は、この「ごんぎつね」の話を誰に聞かせたかったのか。なぜに、ごんぎつねを殺してしまわねばならなかったのか。罪を犯した者は、その後に罪を償おうとしても駄目なのか。いや、大体、きつねがそんなことをするわけがない。半世紀前に小学校で習ったか、その覚えはないのだが、「ごんぎつね」へそんな記憶はある。南吉の生きていた時代はキツネが悪者であったろうか。美しい毒花を風景に持ち出したことに、南吉の意図があったのか。美しい物には毒がある。この話に、ごんぎつねの死と言う毒が必要であったのか。彼岸花もそろそろ終わりになろうか。