『麦秋』

麦秋』<2017年5月28日(日)>
 「おにぎりと田んぼが結びつくようには麦畑が連想できないのだ。しかしこういう景色を前にしてふと気づく。われら日本人も麦にはお世話になりっぱなしだ」と、「春秋」(170528)は、「麦秋」の時期を思う。そして「胸に浮かぶのは、小津安二郎監督「麦秋」のラストシーンである。題名どおりのその情景を撮るのに、名匠はまる一日を費やしたという。輝ける麦の穂に、心を奪われていたに違いない」と。
 (JN) 自分が旅をする中で、その地の売り物と出会うのが楽しいが、それとともにそこでの農地を見るのがなぜか好きである。稲穂の垂れる田園地帯を歩くのも良い。車窓からの眺めも好きだ。米だけではない、麦、トマト、ブドウ、トウモロコシ、・・・・。まだ田植えしたばかりの鏡のような田んぼ、農閑期の田畑・・・・・。段々希少な場所となっている。米以外は自給の難しい農産物、これで良いのであろうか。経済効率主義がこのような構造を作り上げてきたのか。農協は金融機関となり、時間貯金を勧めて日本の農業を破壊していった。晴耕雨読になれとは言わないが。まずは日本人は産業構造というより、生き方を考え直さないと、美味しいスパゲティー、ピザ、パン、ギョーザ、ラーメン、・・・・・が食べられなくなるのではないか。小津安二郎監督「麦秋」を私は知らないので、そのラストシーンを想うことができないが、穂が生い茂る場所を大事にしたい。