『流星号、流星号、応答せよ』

流星号流星号、応答せよ』<2017年5月27日(土)>
 最近の自動車の自動化、「春秋」(170527)は「流星号」を思う。「半世紀を経て、その夢はいまや現実のものとなりつつあるようにみえる。『流星号』が本来もっていた機能のうちのひとつは、人類が永遠に手にできないかもしれない。タイムマシンとしての機能である。ヒトの想像力はときに見果てぬ夢もかき立てる。それでも、未来への夢を育み希望をうみだす力が様々な革新の原動力となってきたのは確かだ。想像力は創造力の源泉だと今更ながら思う」と。
 (JN) 「ジェッター、ジェッター、スーパージェッター、僕らのスーパージェッター」。テレビ画面には色がついていただろうか。あの頃、21世紀はまだ遠い未来であった。そこへ思い描いた乗り物は、空を飛ぶ自動運転車であった。でも、そのエネルギー源は原子力を思っていたかもしれない。そのエネルギーは今後使えるのであろうか。心配しなくとも様々な発明発見で、21世紀の後半には描いた空飛ぶ未来が実現していようか。まあそのころには生きていまい。否、生命の維持能力が高まり、死にたくても死ねないようになっているか。長い来ても活躍できるのであろうか。死にたくなったりしないか。死にたくなるような社会にならないように未来を作りたい。未来は生きることへどう対応をしていくのであろうか。思い描くのは勝手であるが。