『ハンプ、日本ではなかなか普及が進まない』

『ハンプ、日本ではなかなか普及が進まない』<2017年5月17日(水)>
 「いい考えでしょう。ガタガタするけど事故があったらタイヘンだから」。フィジーでは小学校付近の道路に「ハンプ」を設けていることを「春秋」(170517)は紹介する。日本では「車や積み荷が傷む、乗り越える際の音がうるさい」と進まぬ「ハンプ」である。「痛ましいニュースを聞くと、フィジーで出会ったドライバーの笑顔が浮かぶ」と筆者。そして、「きれいな海以外、魅力に乏しいのではと勝手に思い込んでいた南の島の事故対策。なんだかとても進んだ手法のように感じる」と。
 (JN) 日本では「ハンプ」が進んでいない。それは、人間よりも車が大事にされるからか。「ハンプ」などなくとも、安全運転ができるなら良いが、そうではない。何が優先されるのか。人の命は二の次でよいのか。美しい国にいれば、人の心も美しくなろうか。否、そこにいる人の心が美しいから、国を美しく維持できるのではないか。もう日本では主役が人ではなく、機械かもしれない。機械にとって都合の良い国づくりが続いては、私たちは生き生きと暮らすことができないのではないか。それで良いのか。これはいま生きている私たちの責任である。便利に思える今の日本の暮らしは、真に暮らしやすいのか、小さなことから考えてみたい。