『遠出をしてもしなくても、贅沢で落ち着いた時間を・・・』

『遠出をしてもしなくても、贅沢で落ち着いた時間を過ごす。日常からの旅である』<2017年5月4日(木)>
 まだ連休はこれから、「天声人語」(170504)は旅について語る。「豪華でなくとも、旅の楽しみ方はいろいろある。その土地ならではの弁当やお酒に出会う。地方の新聞を手に取れば、地元気分が高まる。エッセイストの酒井順子さんは「東海道中膝栗毛」の気分で、東京から京都までローカル線や船などを使って、3日かけて旅している。速さを捨てたことで『私の中の時間と空間の軸を溶かす効果が、あったようです』と『女流阿房列車』で書いた。現代では贅沢品となった『ゆっくり』を存分に堪能したと。遠出をしてもしなくても、贅沢で落ち着いた時間を過ごす。日常からの旅である。
 (JN) 旅は人それぞれに楽しみ方があろう。でも共通するのは現実とは異なる時空の体験や疑似体験を求めての行為であろう。それは、人によっては馬鹿にするであろう沢山の観光地を回る時間詰め詰めの旅行だって良い。不自由な旅でも良い。自分と違う世界に出会うことを楽しみにする。でも許されるならば、できれば一人でゆっくりと行きたいものである。しかも、込み合わぬ空間に行きたい。それは連休時ではなく、他の時期に私はつくる。その私、今は悲しいかな机に向かって仕事の山を相手に旅行をする。海に出ている。スピーカーの中に入り込んでいく旅。ショーソン、ラベル、ドビュッシーと進む。そしてイベールで仕事を終わりにしたい。さて、午後はコンサート行くぞ。