『ジョン・ケージの「四分三十三秒」、「最初は風が・・・」』

ジョン・ケージの「四分三十三秒」、「最初は風がそよいでいる音、そして屋根に雨が当たる音。最後には聴衆が出て行く音が聞こえたはずだ」』<2017年4月23日(日)>
 ジョン・ケージの「四分三十三秒」は無音ではないそうだ。「聞こえぬのは聞こうとしない態度のせいらしい」。「筆洗」(170423)はこれとマイケル・ノウルズの『民主党に投票する理由』を比する。「章立てなどを除き、ほとんどが白紙である。民主党を支持する理由なんて『どこにもない』という皮肉なのだろう。それが反対意見や別の考えに対する、『何もない』という決めつけ、耳を貸さぬという意思表示だとすれば、その排他的風潮が正直恐ろしくもある」と。
 (JN) この世に「無」は存在しない。そこには必ず何かがあるのだが、無演奏や白紙ではなかなか読み取ることが難しい。ジョン・ケージの「四分三十三秒」は、彼の母親の言った通り「今回はやりすぎ」であったように、マイケル・ノウルズの『民主党に投票する理由』もやりすぎである。当方はこれを手にしていないので、何とも言えないが、思うに白紙という難しさから解説が必要である。是非とも、白紙である理由を述べる必要がある。それも、トランプ大統領のように、一般大衆にわかるようにやさしく、そして、トランプ大統領のように勝手な解釈ではなく、正確な内容で説明願いたい。