『私たちはこの状況に関与しているのです。罪はなくとも・・・』

『私たちはこの状況に関与しているのです。罪はなくとも、責任はあるはずです』<2017年4月6日(木)>
 シリアがまた毒ガス兵器を使った。「余録」(170406)はその惨状に申す。「オードリー・ヘプバーンはかつて、内戦と飢餓が続くアフリカのソマリアを訪れ、やせ細った子供たちを前に訴えた。『私たちはこの状況に関与しているのです。罪はなくとも、責任はあるはずです』。際限のない暴力と破壊の日々になれてしまったのか。世界に現れた新たな状況に目を奪われすぎたのか。『無関心こそ共犯者なのだ』という言葉もある。このどん底を終わらせるのは、どこかのだれかではない。」
 (JN) 世界中で起きている惨事を私たちは知ることができる。ということはそれについての考えを持つこととなる。ではこの毒ガスの使用については、どう考えようか。何ができようか。そもそもなぜこんなことになっているのかと、複雑な世界の関係に入り込んで、身動きができなくなる。どうしたら良いものか。毒ガスの問題だけでなく、この戦いが起きていることを視界から遠ざけることなく、悲しみ、怒りそして闘わねばならない。ペンを銃に持ち替えて戦うというのではなく、まずは、生きていくものとして、お互いの生命を尊重することであろう。そういう思いを共有する代表者を選ぶことなら、私たちにできるであろう。これは、身近ないじめ問題とも同様で、無関心であってはならないのである。