『83年先の人々は、2016年を生きる私たちをどう評価するのか』

<2016年10月8日(土)>
『83年先の人々は、2016年を生きる私たちをどう評価するのか』

 「天皇陛下が生まれた1933年は、東京・築地に市場が完成した年でもあった」。「天声人語」(161008)は、1933年当時の人々を報道写真から見て、「同じ年、ドイツではヒトラーが独裁の足場を固める。目はなぜかうつろで暗い。一方、日本軍は大陸への侵攻を深めていたが、国内の人々の暮らしには暗さがさほど感じられない。人々は少しも深刻に見えない。鈍感なのか。あるいは政府から目隠しをされたのか。『内外で戦争に向けて大きくカジが切られた年。時代の曲がり角でした』。石黒さん(収集家)の話を聞いて考えた。いまが昭和なら私たちはどのあたりにいるのか。もう曲がり角は過ぎたのか。83年先の人々は、2016年を生きる私たちをどう評価するのか。」

 今という時が、時代の中でどんな時であるのか、今はわからない。今は互いに一生懸命で、その流れに乗ろうが逆らおうが、その行動に関係なく見えない流れに流されていく。それぞれのその時、私たちはどんな顔をして、何をしようとしていたのであろうか。28年ほど前はどうであったろうか。東西ドイツが無くなるなど想像できなかった。今、ドイツ第三帝国亡き後、再びヨーロッパがドイツの経済力化に支配されるとは、1933年に戻りつつあるのか。83年とは人間にも建築物にも長い時間である。天皇の在り方と築地の在り方を、今ここにいる私たちに伸し掛かっている。今後どうすべきか、活動的な市民の良い顔と立法や行政の良い結果を未来の人々に見せたいものである。(JN)