『人とクマがあの机に座っている』

『人とクマがあの机に座っている』
 秋田でクマの被害が起きている。これについて、「筆洗」(東京新聞/16/6/12)は、小学校の二人用机から話を展開する。「使った世代は覚えているか。あの机は境界がどうも不明瞭で、同席した子ども同士の口喧嘩が起きやすい。秋田県鹿角市で、男女四人が相次いでクマとみられる動物に襲われて亡くなった。山村では過疎化などに伴い、耕作放棄地が増加し、かつて人とクマをうまく隔てていた中山間地帯が消えかかっている。人とクマがあの机に座っている。人里と山林の間の緩衝地帯をどう取り戻すか。それは農山村をどう再生させるかという人間の問題でもある。」
 小学校時代、学期ごとに席替えがあったろうか。今度はどの女の子が隣に来るのか、その時の気持ちは忘れたが、期待と恐怖を持っていたのであろう。隣の女の子との領土騒動は、敗北がほとんどであった。隣接者のコミュニケーション力に屈していた。境目と言うか、境界線は人間が勝手に考え、地図上に書き込んだだけであり、自然には存在しない。この人工の線のために争いが起きる。勝手に決める境界線は必ず、争いごととなり悲劇をもたらす。それは人間の中だけではなく、動物や自然の中でも同じだ。秋田のツキノワグマもその言い分があろう。自然災害は、自然の言い分を聞かず、勝手に人間が自然の様々な緩衝地帯をなくしてしまったためにあろう。日本は、動物や自然とのコミュニケーションを忘れかけている。(JN)