『若いOBがこう話したのだ。「田舎の大学はよせ」』

『若いOBがこう話したのだ。「田舎の大学はよせ」』
 「米国の高校での最終学年の生徒への説明で、「若いOBがこう話したのだ。『田舎の大学はよせ』。『退屈でアルコール依存症になるぞ』」と。「春秋」(日経/2016/1/18付)は、「大都会の悪い遊びに染まることなく、のびのび勉学に励む。米国人はそれをよしとしているのだと思っていたので、随分と驚いた。翻って日本。明治大など街の真ん中にある学校が受験生の人気を集める。約40年前に郊外移転の先鞭をつけた中央大もついに都心回帰を決めた。大学も客商売なので顧客のニーズに応えるのは当然だし、米名門大より経営センスがあるともいえる。問題はそれで学問的水準はどうなるかだ。勉強こそ学生の本分ではないか。」
 約40年前、中大多摩キャンパスのトイレの落書きに、「東京の大学に来たのに、自分の田舎よりも田舎だ」とあったように、東京の大学ならば、やはり都心でなければと。明大でも、生田キャンパスは田舎扱い。しかし、これは、教育研究上は田舎であろうと都心であろうと関係はない。但し、大学が学生に与えるのは、勉学だけではなく様々な体験の機会を与え、それにより更なる勉学意欲を掻き立てることである。それは、隔離されてる様な奥地ではなく、社会との接点が多く作れる場所が良い。でもそれは都心が良いということではない。大学が如何に、学生に様々な経験の機会を作って行くかである。(JN)