固定観念を解きほぐし、さまざまなことを教える沖縄がある

固定観念を解きほぐし、さまざまなことを教える沖縄がある
 沖縄慰霊の日に当たり、日経「春秋」(2015/6/23付)は、沖縄の料理の中に、日本になかなかの多様性を与えていると述べる。「沖縄のみそ汁は異色である。大きな丼にスープがなみなみと、具は野菜に卵に、缶詰のポークミートまでたっぷり入っている。みそ汁定食という。島の日常に触れるには街を歩き路線バスに乗り、食堂にでも入ればいいけれどそんな観光客は少なかろう。だから本土が抱く沖縄のイメージといえば、相変わらず亜熱帯の海と太陽なのだ。そしてもうひとつは基地問題である。沖縄の抱える矛盾をあれこれ難じてみせる「嫌沖」の風潮さえ一部に漂う。沖縄の食堂で沖縄式みそ汁などすすってみれば、この島々の存在が日本になかなかの多様性を与えているのだと気づく。みそ汁の具にまで使われる缶詰ポークが米軍統治の置き土産である。リゾートと、基地問題とのあいだの沖縄――。固定観念を解きほぐし、さまざまなことを教える沖縄がある。」
 沖縄がこれだけ苦しみ闘っているのに、自分は何をするでもなく、傍観しているだけである。日本政府は、沖縄の素敵な人、空気、海を平気で犠牲にしている。まだ、70年前の激戦での犠牲者の遺骨がその地に残っている。リゾート地などは島の一部だ。島は、米国に占領されたまま70年である。その中で、受け入れられることは受け入れて、みそ汁定食を作り上げたのであろうが、何時まで占領下にあるのか。東京都下も然り、まだ占領されたままである。何時まで、アメリカのご機嫌を伺っていなければならないのか。黒船以来、日本は米国の脅威に晒されっぱなしである。日本が本当に独立国家となるのは何時になろうか。東京都から米軍がいなくなるのは何時になるのか。ふと、南ベトナムの米国大使館からヘリコプターで逃げ去る米国人のシーンを思い出し、いざとなったら逃げてしまう彼らに頼らねばならないのかと情けなくなる。否、頼っている事だどうなんだ。大きな口を叩けない。