人工知能、人間を超えることはできまい?

人工知能、人間を超えることはできまい?
 ソフトバンクがおととい発売したロボット「ペッパー」、朝日「天声人語」(2015年6月22日)は、こう考える。「夜、『おかえりなさい。きょうはいい日でしたか』。女性は不機嫌だ。『うるさい。ほっといて』。ロボットはうつむく……。人の感情を読み取り、身ぶり手ぶりを交えて会話する。ペッパーに使われているのは人工知能である。将棋のプロ棋士に勝って騒がれたのも人工知能だ。それは日々、賢さを増しているらしい。このままではいずれ人間の仕事の多くが奪われてしまう。真面目に危ぶむ声が出るのも当然か。介護や接客といった職場にはすでにロボットが進出しつつある。事務労働の人々への影響が大きいとの見方もある。人工知能の限界も指摘される。そもそも人の心の仕組みがわかっていないのだから、人間を超えることはできまい、と。未来は容易に見通せないが、例えば人工知能に詩は書けるか。」
 人間的とはどういうところなのだろう。ロボットがどんどん優秀になって行くと、その違いが無くなって行き、正に、心に沁みる詩も作ってしまうのか。ロボットは、どこまで人間のそのいい加減さというか、ルーズなところを理解し、生き物としての心の揺れを感じ取って行けるのであろうか。仲間との交流の中で、笑いを創造したり、可愛らしい微笑を浮かべれば、もう堅物の人物より付き合いやすくなるだろう。それは、仲良くなれば結婚にまで展開しはしないか。何時まで、この結婚という範疇が存在するかわからないが、社会はどのように変化をして行くのであろうか。それが良くも悪くも、我々がこれからロボットというものをどのように作って行くかであろう。