法や制度が変わっても人間はたやすく変わらない

法や制度が変わっても人間はたやすく変わらない
(日経「春秋」2015/3/7付) 「血の日曜日事件」と聞けば「1905年。ロシア・ペテルブルクの冬宮広場。」しかし、世界にはもう一つ、大切な「血の日曜日事件」があった。その日からきょうで50年になる。「セルマ大行進」、米南部アラバマ州セルマで、選挙権を求めて行進する黒人の列に白人の警官隊が催涙ガスや警棒、ムチで襲いかかり、多数のけが人を出した事件である。半世紀を経た現場に立って、オバマ大統領は国民に向け演説するという。血の日曜日から2週間後、今度はセルマを出発して州都モンゴメリーまで、90キロ近い5日がかりの行進を黒人解放運動指導者のキング牧師が率いた。キング牧師は参加者に訴えかけた。「人間が人間として生きられる日。そのときはいつなのか。もうすぐだ!」。聴衆も「もうすぐだ!」と唱和した。しかし、法や制度が変わっても人間はたやすく変わらない。50年たって演説する人は社会運動家から大統領に代わったのだが、「もうすぐだ!」はどこまでもたどり着けない逃げ水なのか、とふと思ったりする。
(JN) 差別は、自分の相対的自己満足のために起こるのか、既得権を守るために自分たち以外を差別し、現在優位を保つ。これは、我々の心の中の最大の敵である。自分を高めて行くよりも、人を押さえつけ貶めて行く方が容易いのか。格差ある限り、弱きものは、更なる弱きものを捜して、それを貶める。これは、愚かな一時的満足でしかなく、幸福にはならない。このような満足の一つに「いじめ」がある。この人類の歴史とともにあるだろう愚かな行動は、これからも変わらず人類の歴史とともに続くのか。この世は、今の価値観を持つ以上、全てのものが幸せになれないのか。「もうすぐだ!」とは、とても言えない。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84082410X00C15A3MM8000/