見わたせば車内のみんながスマートフォンに夢中で前かがみ

(日経「春秋」2014/5/2付) 居眠りする中年女、ぼんやり前を見つめるオヤジ、子をあやす母親、ひそひそ話のサラリーマン2人、いちゃつくアベック……。荒木経惟さんの「往生写集」、そこにあるのは1972年の、ふつうの日本人のたたずまいだ。これが、いまだったらこういう十人十色のポートレートは成立するかどうか。見わたせば車内のみんながスマートフォンに夢中で前かがみであろう。歩きスマホなどと違って危険を伴うわけではないけれど、こんな光景、やっぱりどこかヘンだよ、と嘆くのは旧弊だろうか。昭和世代としてはアラーキー作品の老若男女がとてもいとおしい。米国のウォーカー・エバンスが戦前のニューヨークですでに多くの肖像を撮っているが、その所作は70年代とさほど変わらない。ところがこの数年で人々は激変した。技術進歩の加速と、その渦中の人間をものがたる車内風景なのだ。乗客はみんなメガネ端末で同じ顔――という日もやってこようか。
(JN) スマートフォンに付き合っている時間が結構ある。しかし、当方は器用ではないので、歩きながらや況してや運転をしながらなどできようがない。でも、世の中器用な人が多い。結構目にする。しかし、注意は散漫であろう、歩行での追突、エスカレータ出口への侵入などに遭遇する。また、残念ながらスマートフォンを見ながらの自転車運転で老人に追突して死亡させた事故もあった。マナーもなっていない、優先座席(シルバーシート・専用席・おもいやりぞーん)などでの使用。コミュニケーションの重要な子どもよりスマートフォン優先の母親など、嘗てのたばこ喫煙と同様に、けじめのない世界である。海外のことは知らぬが、この日本、倫理観がなくなり、何でも、規則を作ったり、道徳を学校で教えなければならない、情けない民族になってしまったのか。熊倉先生が4月22日の「明日への話題」で「目が怖い」で書かれていたようにスマートフォンに夢中になる般若顔をやめて、「もう少し穏やかな表情」にしたいものである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO70674870S4A500C1MM8000/