良い研究に必須なのは科学者の良心だ

(日経「春秋」2014/3/21付) 朝永振一郎氏は、理化学研究所に入ったときの印象を「科学者の自由な楽園」というエッセーの中で、こう記している。「おどろいたのは、まことに自由な雰囲気である。実に何もかものびのびとしている」。何よりも研究のテーマ選びが自由だったから、「大学から若いすぐれた人材が多く理研を希望してやってきた」。資金の潤沢さにはタネがある。別会社を設立し、研究成果を商品化したのだ。栄養剤、合成酒、感光紙、機械部品。終戦でグループとしては解体されたものの、今も存在感のある企業が多い。栄光に満ちた研究所がSTAP細胞問題で揺れている。しかし良い研究に必須なのは科学者の良心だ、という朝永氏が理研で得た結論は今も同じだろう。「よい研究者は外から命令や指示がなくても、何が重要であるかみずから判断できるはずである」。朝永氏なら、今の理研をどうみるか。
(JN) 科学者としての自覚、朝永先生の時代はそれだけ高かった。それは理化学研究所だけでなく多くの教育研究機関が、研究者としての自覚と良心を持ち、何が大事であるか選択をしていたのであろうが、今はそうではないのであろう。何が重要であるのか、世間一般もそうだ。我々の指導者も、良心や自己責任における判断を忘れてしまったのか。つまらぬ会議を長引かせ、一向に判断を下せない。それはともかく、自由な研究環境であるなら、尚更、命令や指示がなくても、何が重要であるかみずから判断する能力が必要だ。そうできないなら、自由な環境である必要はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68660910R20C14A3MM8000/