テロは遠い国で得体の知れない者たちが起こすのではない

(日経「春秋」2014/3/8付) 化学兵器が市民に対して初めて無差別に使われた国は日本である。これこそが、1995年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件であった。教団の元幹部に、きのう東京地裁で判決が言い渡された。オウムの闇に光を当てるような新たな証言は出なかったが、1人が注目すべき事実を語った。「米国や国連のテロ対策の専門家と面会している」と明かしたのだ。米国は事件直後から政府や軍の関係者を日本に送り込み、調査を繰り返した。それが今も続いている。福島第1原発の事故後、核や化学兵器に対処する米海兵隊の部隊が来日したが、この部隊もオウム事件を受けて創設されたものだ。日本では地下鉄サリン事件を、テロというより「稚気を含んだ特異な集団の犯罪」と受け止めた。世界はオウム事件からテロ対策の教訓を必死で学ぼうとしたが、当の日本の取り組みは十分であったろうか。テロは遠い国で得体(えたい)の知れない者たちが起こすのではない。自分たちの社会で生まれ、そこで育っていくのである。
(JN) 私たちの間近でテロ行為が起きる。他人事ではないのである。あのサリンの強力さを見せつけられたことは忘れられない。自分たちが乗っている列車にて、現実に起きた。いとも簡単に車内に持ち込まれ、何の関係もない人々が被害を受けた。これはオウム真理教の関係者を裁くことでは終わらない。被害者への支援であり、こういうことがまた起きた場合の対策と起こさせないための分析である。日本人は感覚的に現状を捉えることが多く、現状把握ができていない。マスコミは、現象について奥底までの分析を示すわけでもなく。私たちは処罰の確定を以て、忘れ去ってしまう。私たちは、いわば復讐を以て終わってしまうのでは、いつまた何が起きるかわからない。その何かが起きるかもしれないことを疑う能力を身につけなければならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67954920Y4A300C1MM8000/