ひとはみな見えない仮面をかぶっている

(日経「春秋」2014/3/7付) 天使がふわりと石畳に降り立つと、拍手と歓声が上がった。ベネチアのカーニバルのヤマ場、広場は仮面や中世風の衣装であふれ、ゴンドラが揺らす水面がまぶしく光る。祭りの起源は12世紀の戦勝祝いとか。華やかな仮装で約10万人が踊り歩く。なぜ仮面なのか。諸説あるが、変身による開放感が最大の魅力らしい。精神医学者ユングによると、ひとはみな見えない仮面をかぶっている。ラテン語由来のペルソナ。ふだん外に見せている顔のことだ。だれもが適切な役割を果たすことで職場や家庭が、ひいては社会がうまく回っているのだそうだ。だが、現実ばなれが過ぎると破綻する。18年つけた「現代のベートーベン」「全ろうの天才作曲家」の仮面は、劣化し砕けた。祝祭でもないのに、目立つ仮面に出会ったら用心するに越したことはない。
(JN) ペルソナはパーソナルなり。人格は仮面であるのか。私たちは、見えない仮面をかぶっているということか。私たちが仮面をかぶる目的は、人に良く思われたいという善の心からであろうが、それは他人に真実の姿を見せていないことであろうが、それが人の世を動かしているのか。仮面は、かぶっている本人もわからずかぶっていることであり、他人にもわからない、それが善なのであろうか。しかし、人を騙そうとする仮面は、善ではない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67889540X00C14A3MM8000/