「言葉というのはカメレオンで、環境に合わせて色を変える」

(日経「春秋」2014/2/11付) 「大丈夫」とは、「金銭の誘惑に負けたり、権威に屈したりしない、志の高い男子」(新明解国語辞典)。もとの漢語の意味に近いのだが、読みは「ダイジョウフ」。日本に伝わってから二通りに読むようになったらしい。もちろん「ダイジョウブ」の方は「彼に任せておけば大丈夫」のように使われるが、昨今の若者が口にする大丈夫は英語の「ノーサンキュー」だ。推測するに、席を譲られかかったお年寄りが「大丈夫、立っていられますから」と言った。かつては必ず理由がついていたその理由がどこかに消えて、何にでも使える婉(えん)曲(きょく)の拒絶だけ残ったのだ。作家の池澤夏樹さんによれば、20世紀の米国の法律家が「言葉というのはカメレオンで、環境に合わせて色を変える」と言ったそうだ。日本語も、断定を嫌う若者の優しさだか自信のなさだかに染まり、どんどん変わっていく。同じカメレオンには到底見えない。
(JN) 言葉はカメレオンであると、それは同じ国の同じ時代でも違いを見せるということであろう。生活の違う環境においても言葉の意味が違ってくる。また皆が使っているから大丈夫なのです。でも、そのある言葉のその意味が、みんながそのように解するように使う前に、どのように意味が変身して行くのであろうか。カメレオンの変身は早いが、言葉の意味の変化はどうなのであろうか。一般化して行くのは若者であろう、その若者が成長して行く中で生成発展し没落もする。日本ではその若者の数が少なくなり、カメレオンが少なくなる日本は大丈夫であろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO66668110R10C14A2MM8000/