無用の惰性かくもしぶとい

(日経「春秋」2013/12/10付) 子どもの発育状態を知るために学校で測るデータが3つある。身長と体重はすぐ思いつく。もう一つが座高である。でも、いったい座高と発育と何の関係がある。結論をいえば関係はないらしい。関係がないのにどうして、といえば、測定するよう法令が学校に義務づけているため、である。文部科学省有識者会議が先日、「ほとんど役に立っていないのだから廃止すべきだ」と、これを受けて、学校では早ければ再来年から座高の測定をやめるそうだ。座高を測り始めたのは昭和12年。戦時体制下である。「胴体が長いと内臓が丈夫で、兵隊に向いていることが分かるから」という理屈だった。もっともきちんとした記録はないとのこと。座高の大義名分はもう「机や椅子の高さの調整に活用するため」に変わっている。発育に無関係ならさっさとやめればよかったのに、と思う。実際には机や椅子の高さを座高にあわせるきめ細やかな学校はまずないという。無用の惰性かくもしぶとい、と知るばかりである。
(JN) 私は座ると大きく、立ち上がると小さい、典型的な胴長である。そのため、小中高とこの数値は、コンプレックスを与えるものの一つであった。なんと、この数値は子供たちの発育状態を知るためのものとしては関係ないとのこと。もっと早く気付いてくれれば、悲しい青春ではなかったのに。役所仕事というか、考えていないというか、ずっとこれを続けていたとは、アーレントに見つかれば、アイヒマンと同じと無能さを指摘されるところである。ところで戦時下では「胴体が長いと内臓が丈夫」と考えていたようで、なるほど私は内臓は丈夫であった。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO63836810Q3A211C1MM8000/