あの時代の検察は信頼されすぎていたのかもしれない

(日経「春秋」2013/2/10付) 大きな事件には時代が染みついている。リクルート事件の名からは、いまも昭和の終わり、バブル絶頂の匂いを嗅ぎとることができる。平成に入ると竹下内閣が倒れた。元官房長官や中央官庁のトップらが汚職で次々起訴された。リクルートからの新手の賄賂が「譲渡された値上がり確実な未公開株」だった。あやしげなもうけ話に人が踊る。バブル期ならではだろう。この事件には時代の匂いがもう一つ染みついている。「検察黄金期」の匂いである。江副さんは4年前の著書で、検事の取り調べ中に鼻がつくほど壁に近づいて目を開けたまま立たされたり、土下座させられたりしたと書いた。じつは、まったく同じ主張を江副さんは裁判でもしていた。しかし、検事のやりかたが大きな問題になることも、それで検察が描いた構図が崩れることもなく、起訴された12人がみな有罪になった。いま、不祥事にまみれ改革の道半ばにある検察を見つつ考える。あの時代の検察は信頼されすぎていたのかもしれない、と。
(JN) 抵抗のできない相手に力で、いや言葉を含めた暴力で抑え込んでいく。ここの国の人たちは奴隷同然に扱われている。戦前の軍国主義から変わっていないのか。いじめを始め、我々はこの状況をよく理解しなければならない。トルーマンが言っているように、日本国民は奴隷的ゆえ、米国が占領しようが国の混乱は起きなかったのであろうか。そうなのであろうか。そうならないように、弱者をいじめるような奴隷根性を続けるのを止めよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51588630Q3A210C1MM8000/