守るべきは命であり、線量計や会社ではない

  • (朝日/天声人語 7月23日付) 英語のカバーは「見せかけ」の意味でも使われる。収束作業に携わる建設会社の役員が、線量計を鉛のカバーで覆い、被曝線量を低く装うよう作業員に指示していた。彼らは、法定の被曝量に達するとしばらく働けない。現場を仕切る役員は、渋る作業員をこう説得したという。福島の作業環境は、命がけという意味で戦場だ。線量のごまかしは、10発の敵弾を浴びた兵士に、「5発ということにして戦い続けてくれ」と言うに等しい。高線量の現場は「金になる」といわれる。作業員が線量を使い果たせば人手を欠き、せっかくの仕事が逃げると案じたか。守るべきは命であり、線量計や会社ではない。あけすけな不正の根底には、下請けの弱い立場があるからだ。これまでに放射線を浴びた2万数千人の多くは、東京電力の社員ではない。現場の苦闘は、40年かかるという廃炉まで続く。作業員たちが、いたずらに命を削ることなく暮らせるよう、危険に見合う待遇が必須である。事故以来、この国は彼らの頑張りに守られているのだから。
  • (JN)原発の現場で守られているのは東電であり、いじめの現場で守られていたのは学校であった。それでも私たちは目を覚ましていない。まずは自分たちのところから、目的を明確にして、何を行うのか明らかにしていくことが必要だ。

http://www.asahi.com/paper/column.html