第18共徳丸が、そのままの姿で残されている

  • (日経/春秋 2012/7/20付) 陸に打ち上げられた船は悲しい。気仙沼の県道沿いに全長が60メートルもある第18共徳丸が、そのままの姿で残されている。忘れたいけど、忘れたくない。被災地を歩くと、人々の迷いが具象化したような場所に出くわす。あの日の悪夢がよみがえるから、早く片付けてほしいという声もある。手つかずの残骸と共に東北は2度目のお盆を迎えた。精霊を夏に供養する日本の風習は、万葉の時代から続いているそうだ。その起源は仏教の伝来より古く、満月の夜に先祖の魂が子孫を訪れるという祭事が元になっているらしい。人には祈る場所が要る。手を合わせて向き合う相手は、神や仏だけではなく、今も波立つ自分の心の中かもしれない。懸命に生きるうちに一年がたち、また新しい一年が始まる。迷いながら頑張る大人を見ながら、そして子供たちは大きくなる。

=>(JN)忘れたいけど、忘れてはならない。しかし、人間は忘れる動物である。特に、日本人は四季の中で忘れていく。忘れないように残しておきたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO43933490Q2A720C1MM8000/