植物を愛人と称して生き、ただ愛人を探究

  • (日経/春秋/2012/5/14付)

(貧が逆さま)太郎。ことし生誕150年を迎えた植物学者・牧野富太郎は自らの名をこう記すことがあった。ちゃめっ気と、貧を笑い飛ばすたくましさである。公教育は小学校で2年受けたきり。博士になったが、むしろ学位なしに学位持ちと相撲をとることにこそ愉快はある、と書いた。植物を愛人と称して生き、ただ愛人を探究し、94歳でついに愛人と心中する。ただし、愛人をぞんざいに扱うものには手厳しかった。自身が描く植物画は神がかった技術で精密極まりない。その目には、美術のいい加減さが悔しくてたまらぬ風情だった。富太郎のひそみにならえば、当方の愛人は事実であり隠された真実である。紙面の体裁が変わろうとも、そのチェックは怠るまい。
=>(JN)能力ある者には学校も学士もいらなかった。愛人と探求への厳しさで、94歳まで。凡人には真似しようがない。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE6E3E1E5E0E5EBE2E3E6E2E7E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D