『#岸信介の首』

『#岸信介の首』<2022年9月26日(月)>
 岸信介元首相の述懐を『小社会(220925高知新聞社)』は思う。「冷戦の推移はわれわれの唯一の頼みだった。これが悪くなってくれれば、首を絞められずに済むだろうと思った」(中公文庫「岸信介証言録」)。岸は1948年12月、東京裁判への訴追を免れ、巣鴨拘置所を出た。東条英機らが絞首された翌日だ。岸と同じ日、A級戦犯の右翼の児玉誉士夫笹川良一巣鴨を出た。児玉は岸政権の舞台裏でも暗躍。笹川は拘置所で目にした米雑誌でモーターボートを知って競艇事業を始め、岸の資金も助けた。60年代、岸邸の隣が旧統一教会の拠点になる。笹川の紹介だったという。安倍元首相の国葬に使われる日本武道館は64年の東京五輪の年にできた。歴史の残像が立ち現れ、そこから何かが出てくるような事件と騒動が続く。戦後日本。ずいぶん遠いところまできたようでもあり、さほど遠くはないところをぐるぐるしているようでもある。
 (私は)このコラムを読み、よくできた小説の筋書きと思えた。揃いも揃ったり、お馴染みの名前。明日の国葬は、この者たちのためにもあるよに思えてしまう。しかし、国葬で数々の問題が消えるわけではない。
#岸信介
#東条英機
#巣鴨拘置所
#児玉誉士夫
#笹川良一