『明日待子さんが亡くなった。九十九歳』

『明日待子さんが亡くなった。九十九歳』<2019年7月23日(火)>
 <新宿のムーラン・ルージュのかたすみにゆふまぐれ居て我は泣きけり>。『筆洗』(190723)は斎藤茂吉の思いを紹介する。茂吉は明日待子さんの大ファン。彼女は新宿ムーラン・ルージュで活躍、アイドルであった。「戦争中、出征兵士による『明日待子万歳』がムーランでの名物になった。戦地へと赴く若者らが客席で立ち上がり万歳を三唱する。思いを寄せる女優との別れの万歳であったのだろう。明日さん自身が近く入隊する人の挙手を求めたこともあった。舞台を降りて涙を浮かべながら一人一人の手を握ったそうである。こんなに悲しいアイドルの握手会はないだろう。・・・明日の見えなかった暗い時代にあって若者たちの心の灯となった」。
 (JN) 先週亡くなれた明日待子さんのご活躍のころを私は知りません。最近読んだ『新宿の迷宮を歩く』に出てきた記憶がある。小田急行進曲や小田急温度を歌った歌手であったろうか。ムーラン・ルージュと言えば「なつぞら」であろうか。1920年生まれでは、青春時代が戦争であったろうか。そんな時代に、世の中を少しでも明るくしてくれたアイドル。大正、昭和、平成および令和、99年という長きに亘る人生、お疲れさまでした。ごゆっくりお休み願います。
#明日待子
#立ち上がり万歳

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