『歴史にこだわるのは非建設的だろうけれど、忘却が・・・』

『歴史にこだわるのは非建設的だろうけれど、忘却が好ましいわけではない』<2018年11月13日(火)>
 「古い悪魔が再び目覚めつつある」。『春秋』(181113)は、11日、第1次世界大戦の終結100年記念式典でのエマニュエル・マクロン大統領の発言他について思う。「大統領のことばにはいささか違和感をおぼえる。ただ、・・・心配はわかる気もする。11日はポーランドにとって特別な日でもあった。独立を回復してから100年にあたっていたのである。これにあわせワルシャワでは、アンジェイ・ドゥダ大統領の主導でおよそ20万人が市内を行進した。一時は参加を禁じられた排外的な極右団体のメンバーも、多く行進に加わった。・・・ことさらに歴史にこだわるのは非建設的だろうけれど、忘却が好ましいわけではない。
 (JN) 11月11日は何の日か。「第一次世界大戦停戦記念日」以外にも色々あるようだ。介護の日麺の日ピーナッツの日ポッキー&プリッツの日、煙突の日、箸の日、きりたんぽの日、立ち呑みの日、おそろいの日、復員軍人の日[アメリカ合衆国]、独立記念日[ポーランド]、独立記念日[アンゴラ]、独身者の記念日・・・。1が並んでいる形からの発想が主流である。その辺は平和で良い。しかし、現実の世の中は閉鎖的になっていくのであろうか。他を認めず、排除することが本当に自分たちにとって良いことなのだろうか。押し寄せてくる難民たちはなぜ、自国を捨てなければならないのか。資本主義のしわ寄せ、先進国が過去に行った行動が現在の歪みを生んでいる。過去の負の遺産がである。それは私たちは知らないと言ってて良いのであろうか。過去は過ぎ去ったことであろうが、その過ぎたことの過ちを忘れてはならない。タイムマシンで過去に戻って直すことができない。今の私たちが過去そして現実を受け止めて、未来へしわ寄せ作らぬようにせねばならない。