『「ただの値段」への洞察がますます必要なネット社会だ』

『「ただの値段」への洞察がますます必要なネット社会だ』<2018年4月13日(金)>
 「ただの物には見返りに人の自由を拘束する力が潜んでいる」。『余録』(180413)は、今回の「米フェイスブック(FB)のザッカーバーグ氏が米議会で約8700万人の個人情報流出を」思う。米議会で「ザッカーバーグ氏は外部業者のアクセス制限などの対策を示し、個人情報の保護強化にも理解を示した。だが無料のサービス提供の代わりに、個人情報を活用した広告で稼ぐ事業モデルは大きく変えぬ構えである。どうやら気軽に投じた『いいね!』も、自分の素顔を誰かにのぞかせたと思った方がよさそうだ。FBもツイッターも知らぬ昔の人の大いなる知恵、『ただの値段』への洞察がますます必要なネット社会だ」。
 (JN) FBやツイッターはただであろうか。私の感覚では、テレビの民放と同様ではないかと思う。私は直接払っていないが、そのスポンサーが支払う広告料が元はそれぞれの商品の価格の中に含まれている。だから、利用がただではない。他で分捕られている。問題は、ただ簡単に個人情報をFBに渡していることである。私もその1人であり、愚か者である。コミュニケーションの基本は、それぞれの個人であり、その個人がわからない世界は不安であるので、個人情報が必要である。安易であるが、この画面の枠の中での選択の若干の自由があり、一応、気の合う同士で「いいね」と言っている平和な世界を求めている。でも、個人情報の流出いいねでは困るね。ゴミだってただでは捨てられない。資本主義経済にいるのだから、ただと思っていても、対価は払われている。その対価がなんであるか。それを理解しておかねばならないのであろう。いや、この情報社会では料金を支払ってもルパンのようにまんまと盗んでいく輩がいるから、盗まれるときにはいとも容易く盗られてしまうのであろう。