『「劇場型」といわれる総選挙は、あすが公示・・・』

『「劇場型」といわれる総選挙は、あすが公示日。結末は悲劇か喜劇か不条理か。』<2017年10月9日(月)>
 衆院選の公示を目の前にして、『春秋』(171009)は大衆芸能を紹介する。まずは江戸時代の芝居である。「忠臣蔵」が上演されたのは討ち入りの2日後であった。「当時、演劇は『メディア』だった。ゆえに大事件を戯曲として速報するノウハウがあったに違いない」(劇作家の別役実さん)。また、先週の両国の寄席の「堪忍袋」では、「堪忍袋を借りに来た面々に、『希望の党』を排除された人、排除した人を登場させたから大喝采」。そして、トリの「短命」には、「質屋の婿養子が相次ぎ早死にする・・・今でいう『美魔女』の妻に活力を奪われたのが原因、という艶っぽい噺だ。別役さんのいうメディアとしての大衆芸能の面目躍如だ」。
 (JN) 私たちは「美魔女」になぜ、魅了されてしまったのであろうか。いやいや私はそんなことはありませんと言う方もおられようが、とにかく、為政者、マスコミから一般大衆まで見事に注目をしてしまった。これは、日本が男社会だからなのか。それとも、彼女に強烈な魅力があるのか。世の中は、支離滅裂公私混同嘘塗れから逃れたいため、目をそちらの向けたくなるのか。今の日本、お話にするには面白そうだが、国民は現実をしっかりと見て、結末は国民の幸せの大団円にしたい。それは無理としても、政治の主題を論じ合える多様で条理のある構成員を選ばねばならない。そのためにも、投票までに生々しく一票を悩むとともに、劇や落語や小説の中に入り込み、腹の中をリセットしても良いかもしれない。いよいよだ、出る方も選ぶ方も、「いざ太鼓を鳴らせ」。