『タバコのむすぶ縁』

『タバコのむすぶ縁』<2017年5月19日(金)>
 オリンピックに向かって禁煙の強化が進む中、「春秋」(170514)は「五輪を控えて、規制の国際標準化は必須だ。しかし、タバコという脇役をめぐる追憶は胸にしまっておきたい」という。例えば、「民族学者の石毛直道さんの経験だ。国際的な学会に出ると、さまざまな地から来た初対面の学者と会う。休憩時、喫煙所で何度も顔を合わせ雑談するうちに仲間意識が生まれ、会議の方向を左右するグループが形成されることがあるという。『タバコのむすぶ縁』と表現している」。愛煙家には心強い話でしょうか。
 (JN) 「タバコのむすぶ縁」、それは遥か昔、自分も喫煙者であったころ、そんなことを思った。煙を燻らすその世界は、素晴らしく、煙と香りに包まれているの時間はくつろぎの時間であった。また仲間がそろえば、何やらと始まる。でも別に煙草でなくともよい。お茶でもコーヒーでも良い。それが結ぶ縁がある。ただし、煙草を吸うところはやはり、隔離されるべきであろう。吸いたい人はいるのであるから、そのための空間を作り、隔離したい。遥か昔のことだが、閉鎖された薄暗い場所での喫煙は、その紫煙の中こよなく満たされていた時間であったように記憶している。