『東日本大震災から6年を経たが、いまだ「災後」ではなく・・・』

東日本大震災から6年を経たが、いまだ「災後」ではなく「災中」であるかもしれない』<2017年3月10日(金)>
 「あの日から、あすで6年」。「春秋」(170310)は「残念ながら共生や共助、開かれた国づくりといった『災後』の理念は実を結ばぬままである。むしろ世間ではナショナリズムが高まり、人々の気分は内向きになっているようだ。日本スゴイの自己愛がはやり、閣僚が古色蒼然たる教育勅語を評価するのだから、時節が変わったといえば変わった。後世、この時代を俯瞰するときに何が見えるだろうか。もしかしたら、いまだ「災中」であるかもしれない」と言う。
 (JN) 東日本大震災、いまだ「災中」であるとは思いたくない。実際、自然は徐々に納まりつつあるように思うのだが、地震は続く。そして、人災が続いている。原発事故で避難した子供たちはいじめに遭う。黴菌扱いとはなんということだ。何でそんな無知蒙昧な行動がとられるのか。その発生原因やそれを止められない無力さをなんとかしたい。他人の不幸は自分の幸福といった感情をどうにかならないのか。被災した方々への補助金に嫉妬してどうなるのか。それに、どさくさに紛れて復興のために集められた資金はどこへ行ったのか。どう使われているのだ。人災に満ちた「災中」であるのか。