『「黄門さま」は、蝦夷地に関心を持ち、「快風丸」という・・』

<2017年1月29日(日)>
『「黄門さま」は、蝦夷地に関心を持ち、「快風丸」という大型船まで建造して探検を試みた。』
 「2月4日から水戸市茨城県立歴史館で開かれるアイヌ刺しゅう展で展示される」。「余録」(170129)はその発端となった水戸藩の歴史を紹介する。徳川光圀蝦夷地に強い関心を持ち、大型船「快風丸」を建造して、石狩地方に着いた。その後も、1798年、近藤重蔵による幕府の調査に加わった木村謙次は、択捉島も探検した。その記録は買い求めたアイヌの服「アットゥシ」が水戸に残されている。「樹皮の繊維で織られ、背面に刺しゅうがほどこされた木村のアットゥシには素朴な味わいがある。アイヌの人々との間に200年以上も前に行われた交流に思いをはせてみたい」と。
 (JN) 昨夜の「ブラタモリ」にも、水戸光圀の話が出てきた。水戸と言えば、水戸黄門であり、その意欲と能力は素晴らしいものであった。昨夜は、蝦夷への探検の話は出てこなかったと思うが、正に日本中の現実と歴史を知ろうと研究をして、家臣を日本中に送り込んでいた。これは柳田国男より遥か昔の日本の民俗学の走りであろうか。それとも、探究心に燃える知的生産者ではないか。水戸は東京から直ぐのお国、仕事では数えられないほどお邪魔しているが、「ブラタモリ」のできた地域のことは知らないことが多かった。これは、このままにはしておけない。これから梅の時期にもなるので、水戸へ行き、蝦夷水戸藩の歴史を見に行こう。