『先祖になれるか』

<2016年8月14日(日)>
『先祖になれるか』

 「先の大戦末期、柳田国男は『御先祖になる』と言う古老に会って驚いた。「春秋」(日経/16/8/14)は、そして映画「先祖になる」のラストシーンを出す。「陸前高田の農林業、佐藤直志さん、『1年でもいい。再建した我が家に住み、山へ旅立ちたい』。『「おら先祖になる』」。現代の「過疎化が進み、消える恐れのある市町村も増えている。御先祖様への道は狭くなった。お盆に山のかなたから帰っても、迎える家がないのでは寂しすぎる」と。

 真っ当なことせよ、ご先祖様に申し訳が立たぬようなことをしてはならぬと、言われて育ってきた。さて、ご先祖様、死者は私たちに何をしてくれるのか。意識することが大事なのであろう。どこかで、ご先祖様が見ている。一体、ご先祖様は何人いるのだろう。空中はご先祖様だらけなのか。そんな子供の思いから大人になり、ご先祖様を忘れる忙しい日々であったあ。やがて年齢を増し、祖父母、叔父叔母、そして父を亡くして、毎朝、ご先祖に挨拶する日々となった。そこは生まれたところでも、育ったところでもない。私のような漂泊者にはどこででもご先祖との話ができるが、ご先祖はどお考えであろうか。漂泊者はご先祖にはなれないか。(JN)