『セコい不正だって不正は不正だが、気がつけば・・・』

『セコい不正だって不正は不正だが、気がつけばあちこちにセコくない問題も転がったままではある』
 「春秋」(日経/016/6/17)は、「サンドイッチ疑惑」を取り上げる事よりも大事なことがると指摘する。「金額がセコい、そしてわかりやすいのである。これが何千万何億何十億だと、ちょっと別世界の話になるからおかしなものだ。あの甘利明さんの一件は結局どう説明されたのか。2020年五輪招致をめぐる『コンサルタント料』の謎は……。世の中がタマゴサンドで留飲を下げているうちに、うやむやの術が効いてくるんじゃないかと心配になる。」と。
 どうも、日本人は忘れっぽい。四季の移り変わりに流されて、大事な事件を忘れて行く。舛添氏のせこい話が面白く、そこに乗せられているうちに、大事なことを忘れてしまう。これは、過去もそうである。問題の内容は違うが、次へ次へとマスコミも話題を移し、問題解決をしない。この問題解決をしないのが、高度なテクニックなのか、私たちが愚かなのか。そのため、同じような事件が起きては、また起きる。新たな話題で未解決かと思えば、首を挿げ替えて一件落着、問題解決。これでは、不正は愚かな儘永遠に続くのである。卵サンドも大事だが、巨額な資金の動きの方が気になる。(JN)