『三菱自動車の社長に、いま問われているのは、「存在意義」だろう』

三菱自動車の社長に、いま問われているのは、「存在意義」だろう』
 「筆洗」(東京新聞/16/4/28)は、数々の三菱自動車の不祥事を考える。「同社は一月十日と十月十九日を『安全への誓いの日』と定めてその日が巡りくるたび、全社員が黙とうを捧げている。利益より何より、安全第一、お客様第一との誓いを新たにする日なのだ。その『誓い』も涙していよう。三菱自動車による燃費データの不正は、どこまで根が深いのか。今後、三菱自動車が生き残るとして、その存在意義とは何なのか」と。
 臭いものに蓋をして、無かったことにする、というごまかしが企業に許されることであろうか。その原因を究明し、またその状況を広く共有しなければならない。誰かが言っていたように、嘘は嘘を呼び、永遠に広がって行く。三菱自動車の車に対する意識とはどうなっているのか。これをここまでにしたのは、知ろうが知らなかろうと、幹部の責任である。将来を夢見て入社した若きホープの社員たちは無念であろう。この会社に対して、幹部が今後、どんな意識をもって建て直して行くのか。また、それ以外の多くの犠牲者である社員がどんな意識をもって立ち向かうのか。勿論、こんな幹部を許してはならない。(JN)