『俺はね、2時46分でなくて、3時33分に黙とうすんだよね』

『俺はね、2時46分でなくて、3時33分に黙とうすんだよね』
 「宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館には、津波で流された数多くの家財が生々しく展示され、記憶の風化にあらがって声を上げるようだ」。「春秋」(日経/2016/3/11)は、「あの日、理性も慈悲もない奔流がいかに荒々しく日常をはぎ取り、生きてきた証しを奪い去ったのかを突き付ける」と。「事業再開と復興は進むが、様々な喪失の感覚は容易には癒やされまい。取り戻すあてさえないふるさともある。大川小学校旧校舎の卒業制作の壁画が残る。『世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない』と宮沢賢治の言葉。隣には手をつなぐ各国の人々の絵。地球から絶えない悲しみに、共感や激励を伝えている。」
 東日本大震災は、揺れの後にそれぞれに違った津波を受け、また福島では原発が事故を起こした。その被害は広域に亘った。これに関わる私たちは、それぞれに異なった被害を受け、その時間も異なる。従って、黙祷する時間はそれぞれにある。14時46分よりそれぞれにそれぞれの時間で、私たちは黙祷し、その時から今まで、そして未来を想う。でも、今後、黙祷だけが残り、なぜ黙祷をしなければならないか、それをそれぞれが考えることを忘れるようなことがあってはならない。常に過去に学び、今を考え、未来を明るくしたい。3月11日はまた来年もやってくる。(JN)