『幸福とは幸福をさがすことである(ルナアル)』

『幸福とは幸福をさがすことである(ルナアル)』
 「幸福は、右脳の楔前部で感情的・認知的な情報が統合され生み出される主観的経験である」と京都大の佐藤弥さんの定義を照会する「筆洗」(東京新聞、2015年11月26日)。そして、「人生の意味を見出しやすく、自分が幸福だと感じている人は、そうでない人に比べ、右脳の楔前部という領域の一部が大きくなっているから、幸福な詩を読むと、わが楔前部はわずかにふくらむのだろうか」。
 脳科学的に言ってしまえば、「幸福は、右脳の楔前部で感情的・認知的な情報が統合され生み出される主観的経験である」とのことだが、そのような現象になるのは人それぞれ違うのではないか。それがルナアルの言葉「幸福とは幸福をさがすことである」のか。幸福をさがし出し、それを得た瞬間にその幸福は消えて、また更なる幸福追求をするということなのか。私としては幸福な状態を長く維持したいが、それは叶わぬことなのだろうか。それとも、現象上は幸福が去っていても、右脳の楔前部はゆっくりと反応し、幸福な時間を保てくれないか。否、マッサージ器なら数分間の幸福が継続的に得られる。(JN)