その姿に生き返る気がした人は多かろう

(日経「春秋」2014/12/3付) 「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」と哲学者の鶴見俊輔さん。気づけば身過ぎ草、世過ぎ花ばかりが心のあちこちにはびこり、とげっぽいのは枯れかけていたりする。そんなときは映画館に駆け込めばいい、という時代があった。客の内部の不良少年にスクリーンからたっぷり水をかけてくれるスターがいたからである。そんな役回りを演じた菅原文太さんが81歳で逝った。その姿に生き返る気がした人は多かろう。晩年は映画を離れ、農業や平和運動に力を注いだ。鶴見さんの言葉をもう一つ。「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける」。「書く人」ではなかった文太さんの生涯が重なるのを感じる。日本という国の内部の大切な場所にたっぷり水をやった晩年の印象からである。
(JN) 「良い子」や「不良少年」をどう捉えるか。「不良少年」とは、体制に流されない心を持つことであろうか。世間擦れしていない暖かい心の持ち主であろうか。なかなか生活に精一杯の我が人生、不良少年の心を持ち続けることは難しい。そんな貧相な我が心に、文太さんは、スクリーンを通じて「何やってるんじゃ」と訴えて来てくれた。御蔭で、不逞の輩は「不良少年」に若返ることができた。有機農法平和運動に力を入れていたことは、知りませんでしたが、身をもって訴えてきたのでしょう。大企業に水をやるばかりの連中に喝を入れてもらいたかったが、残念です。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO80432370T01C14A2MM8000/