授業中の私語は?

(日経「春秋」2014/11/15付) 大学の教壇に立った経験のある会社員や研究者が集まると、共通して話題に出るのは私語の多さだ。学生は、時に遠慮なく私語が飛び交い始める。昔の大学には授業中の私語はほぼなかった。その理由を教育社会学者の竹内洋氏が随筆で考察している。大正時代の「東京帝国大学法学部教授授業怠業時間一覧」という資料を見つける。対象は高名な教授ばかり9人。休講、遅刻、早引けをすべて記録し、授業をすべき時間から引いていく。結果をみると、実質的に授業をした時間は規定の40%から60%前後。最も少ない教授はわずか37%だった。「この怠業率の高さが私語なし授業のしかけだったのでは」。竹内氏はユーモアを込めつつまじめに主張する。「休講はよくない」とされ始めてから私語も増えたと竹内氏は振り返る。近年は、出席率は向上した。私語にも拍車がかかる。教員も学生も、進んで窮屈な方に歩んでいるようにも見える。
(JN) 授業に魅力が無ければ、関心は他へ向く。授業の出席は必須、授業を聴いていなくても教科書を読めば単位が取れる授業ならば、せっかく一緒になった友人とのコミュニケーションをして方が有意義である。一方的なおしゃべりに付き合うという苦痛を強制することはいかがであろうか。緊張感が持てない授業を授業と言えるのか。教員も学生も、疲れ果てることの無い授業では、時間がもったいなかろう。教室の中に、学生たちの肉体はそこに存在していても、精神はそこのには存在していない。この一方的な在り方を変えない限り、授業中の私語は続く。受講者に主体性と貴重感を持たせるエネルギーを教授者は発せねばならない。双方がクタクタになるような授業であれば、教育の質も向上しよう。授業15週、年間履修単位制限、教員の持ちコマ制限等の問題ではなく、教室内での双方の闘いに期待すべきである。お互いに一方通行のおしゃべりを終わりにしよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79750210V11C14A1MM8000/