共生の道を工夫するのは、人間たちの仕事である

(日経「春秋」2014/11/12付) 「虎狩りの殿様」と呼ばれた尾張徳川家の19代・元侯爵、徳川義親は、戦争を機に殺生はやめたが、もとは熊狩りの殿様だった。尾張家は維新後、藩士救済のために、北海道で農場を経営。周辺の熊を撃っていたことで有名になった。農村の生活は厳しく、冬は雪に閉ざされる。木彫り熊を考案し、農閑期の副業として勧めたところ、特産として広がった。その熊がいま頻繁に人里に現れる。全国で出没件数が増え、ここ数年で最多の地域も多い。ドングリが不作で餌を求めて下りてくる。山村で過疎化が進み、山林の管理が行き届かなくなった影響が大きい。人と動物のすみかの境界が大移動した可能性もあるらしい。江戸時代、「熊は和獣の王、猛くして義を知る」とある。木の実を食し、仲間の動物は食べない。田畑を荒らさない。まれにあっても食がないときだけだという。昔からの「義獣」との共存が年々、難しくなっている。新しい環境での共生の道を工夫するのは、人間たちの仕事である。
(JN) 人間は、勝手に地球は自分たちのものと決め込み、縄張りを決め、国家間で互恵関係と称してその範囲を保とうとしているが、片や先住の動物たちとは、この協定を結びもしないで、自分たちの生活を犯す野獣は殺傷する。何とも、わがままな振る舞いである。先住の動物たちとは言葉によるコミュニケーションはとれないが、それ以外の方法で共存できる方法をもっと積極的に行い、自然のバランスを保ちたい。自分たちのためにも、動物たちのためにも、農場を整備すること、それが私たちにも良い環境であろう。そのためには、過疎化問題の是正を含めた地方創生を進めるべきであろう。故郷が荒れることのない、人も動物も生活ができる場に創生したい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79584650S4A111C1MM8000/