廃炉という未踏の挑戦に希望の光をともせるか

(日経「春秋」2014/5/26付) 活気にあふれた職場では、決してない。希望がなく悲壮感だけが覆っているわけではない。やらなければならない仕事が目の前にある。職員は黙々と働いている。事故から3年2カ月がたった福島第1原子力発電所を訪ねた。廃炉には最低でも30〜40年かかる。誰かがやらなければならない。分かっているのは、その事実だけだ。吉田昌郎元所長への政府事故調の聴取で、事故直後に9割の職員が現場から撤退していたと一部で報じられた。待機の指示が届かなかったか。途方もなく長い道を、福島第1は手探りで歩んでいる。現所長の小野明さんは「新しいものを作っている感覚」と語る。そうであってほしい。廃炉という未踏の挑戦に希望の光をともせるか。難しい職務に立ち向かう時、人は金銭では動かない。現場の頑張りを支えるのは社会の側の理解だろう。情報の共有が欠かせない。
(JN) 福島第一原発廃炉は、命懸けの未知への世界への試みである。日本の命もかかっている。現場の負担に対して、本部はどうなのであろうか。国はどうなのか。そこは、放射線は届かない安全な地であろうが、責任は重いはず。現場の行動を十分に支え、出来るだけ早くこの日本から危険なものを封じ込めてもらう一方で、いつ起きるかわからない地震津波に対して、今起きて、危機的状態に陥ったらどうするのか、そこを明確に私たちに与えてほしい。吉田調書のように、国民は愚かだから騒ぎになる不都合な情報は出すなという考えは如何なものか。情報共有は、国内に限らず、全世界にすべきである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71776830W4A520C1MM8000/