大相撲がいまあるのはこの人がいたからだ

(日経「春秋」2014/5/20付) 不祥事を起こす。幹部が並んで頭を下げ、謝罪し、組織の出直し・再生を誓う。おおかたの口をついて出るのは「一丸となって」である。ただし、常(じょう)套句(とうく)になればなるほど言葉の持つ重みはうせていく。おととい急死した日本相撲協会の放駒前理事長(元大関魁傑)が任にあったのは4年前からの1年半ほどでしかない。その間、ことあれば「一丸となって」を繰り返した。やむを得まい。もはや国技の体をなしてはいないと思われて仕方のないありさまだったのだ。大相撲がいまあるのはこの人がいたからだという感慨を、幾つもの追悼記事を読んで新たにした。抵抗もずいぶんあったという。そもそも、相撲はスポーツであり神事、芸能である。角界は実力社会であり徒弟社会である。「相撲の基本はやっぱり反デモクラシーだと思います」とは元横綱審議委員長の独文学者高橋義孝の言だ。すっぱり割り切れぬ世界だからこそ、「クリーン魁傑」を生き抜いた誠実さが貴重だった。
(JN) 魁傑、ありがとう。私が応援する関取は、なぜか、横綱になれない。魁傑、あなたもそうだった。大関を一度は手放しても、再度そこへ戻る粘り強さ、返り咲きあっぱれである。その能力が大相撲をも返り咲き、甦らせたか。しかい、理事長の間の負担が大きかったのか、残念である。怪傑黒頭巾、幕内成績が367勝304敗、勝率.547、連続出場は931回、ご冥福を祈ります。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71477580Q4A520C1MM8000/