「科学者が人間であること」

(日経「春秋」2014/3/15付) STAP細胞をめぐる物語はそれでも真実なのか。門外漢は戸惑うばかりである。生命の常識を覆す世紀の大発見を割烹着(かっぽうぎ)姿の30歳の女性が中心になって成し遂げたという筋書きは、ひとまずなかったことにせざるを得まい。きのうの理化学研究所の記者会見で疑いはむしろ深まった。生命科学者の中村桂子さんに「科学者が人間であること」という著書がある。震災の体験を踏まえ、生活者であり自然と向き合う人間でもあるという当たり前のことを科学者自身が忘れていなかったか、と問いかけている。分からないことだらけなのだが、今度の騒ぎともつながっているのだろう。いまふと感じるのは、こう言ってよければ、人間であることの弱さ、である。
(JN) まさか、そんなことはしないだろう。そのそんなことをするには、どんなわけがあったのか、是非とも知りたい。科学者であり、公に出す論文がコピペー? 学生のレポートじゃあるまいし、そんなことを意識して行うであろうか。データの出所もわからなくなるようないい加減な者の実験データは信用できないであろうし、とにかく、疑惑をすべて取り除いて、再度、出直して欲しい。これから時をどれだけ必要するかはわからないが、この課題に向かって更なる新しいものを発見してほしい。また、この顛末は新たな小説も生むであろうか。「科学者が人間であること」、小説より奇なるこの現実を早く知りたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO68335160V10C14A3MM8000/