「女性が輝く国」戦略は実を結ぶかどうか

(日経「春秋」2014/2/25付) 林芙美子の絶筆、未完の「めし」。舞台は新聞に連載していた昭和26年当時のサラリーマン家庭だ。サラリーマンの妻、28歳の三千代は、「私ね。こんな、女中のような生活、たまンないンですッ」と怒りをぶつける。高度成長期に入ると、男性は一家を養い、女性は家庭を守るといった風潮が広がったが、それよりだいぶ前のことだ。「女性の社会参加」はかれこれ60年以上も昔からこの国のテーマといえよう。今では働く女性はだいぶ増えたが、企業や官庁の要職は大部分を男性が占める。子供を預ける場所が身近にないなどの問題に、真剣に手を打ってこなかったツケが回っている格好だ。安倍政権の「女性が輝く国」戦略は実を結ぶかどうか。若いころ職を転々とし苦労を重ねてきた芙美子は、泉下でしっかりみているだろう。
(JN) 「女性が輝く国」にするには、マザコン社会からの脱皮でもあろう。現在のママたちが息子たちを過保護に育てている家庭を考え直すことも大事である。子供を持つ女性たちは、子供が生まれることで仕事を辞め、その力の入れ所が子供に集中しすぎることとなる。そんな男たちの社会は男が甘まえているのである。また、子育ての時期は働き盛りの年齢でもあり、単一トラックの日本社会は、そのトラックから外れると、そこへ戻る方法がない。できの悪い男でも、このトラックの中で女性たちを追い出すことができるのである。出世する女性は育児をしなくて良い女性が多い。これから移民の受け入れも始まろう、そのような社会に置いて育児を何とかしなければならない。それは濡れ落ち葉から脱して、育児の世界に退職した爺さんたちが参入すべきである。偏った私論になってしまったが、要は女性に甘えている男社会を脱しなければならない。他人事ではない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67348420V20C14A2MM8000/