神を待つ、ゆえにこの木がマツ

(日経「春秋」2014/1/8付) 「日本語で花とはかならずしも英語のflowerを意味しない」。詩人の高橋睦郎さん、日本では松こそが花の中の花なのだという。新年に歳(とし)の神を迎えるためにも欠かせぬ存在だ。歳の神は海のかなたから訪れるから海岸に多い松がそれにふさわしいと考えられた、と高橋さん。神を待つ、ゆえにこの木がマツと呼ばれるようになったともいう。松の内が過ぎて、正月気分も終わる。これから待ち遠しいのは差し当たってはソチ五輪だ。冬の大会ならではの凜冽(りんれつ)の気がテレビ越しに伝わってきて声援にも熱が入ろう。さてサラリーマンの待望久しいのは春の賃金アップだろう。きのう安倍首相は消費増税の悪影響をかわせるかどうかは「4月の賃上げが勝負だ」と語って企業側にハッパをかけた。焦る気持ちはわかるが政府が民間の賃金決定に深入りするのは筋違いだ。経営者の判断を待つしかない。
(JN) flowerとは華やかなイメージがある。松には華やかなイメージはないが、冬の凛冽の中でも強く生き抜く神々しい力がある。その松の力に肖り首相の第三の矢の代わりに企業に賃金アップの圧力を国民に対してアッピールするとは如何なものか。企業に口を出せるのは株主であり、ここ日本は資本主義の国ゆえ、首相は口を出すべきではなかろう。それとも首相は自分が大株主であると思っているのか。それならまずは東電から何とかしてください。待つばかりで東電は変わらない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO65015770Y4A100C1MM8000/