あらゆる自由のなかで最優先に考えるべき自由は

(日経「春秋」2013/12/4付) たとえば野球の打者がフォームを点検したいとき、どうするのだろう。さいわい、当方にはスイングをチェックしてくれる格好の師がある。英国人ジャーナリストの「理想の新聞」(邦題)という本である。タイムズ紙の編集長もしたH・W・スティードが本を書いたのは1938年、第2次大戦前夜である。「あらゆる自由のなかで最優先に考えるべき自由は、物事を知り、話し、批判する自由である。そしてこの自由こそ、専制者たちが怖がるものである」といった。新聞は社会が自由であり続けるための道具の一つでしかない。それに、道具は鈍(なま)る。だからこそ、バットが風を切る音が濁っていないか、耳を澄まさざるを得ないのである。特定秘密保護法案の審議が続いている。安倍首相は「国民のさまざまな不安や懸念を払拭するよう、今後も丁寧な説明を尽くす」と言い、「(明後日までの)今国会での成立を目指す」とも言った。この二つが並びたつという理屈がわからない。わからない以上は、知り、話し、批判する自由を守る側に身を置くしかない。
(JN) 自由は放っておくと消えて行く。権力を持つ者に、自由は不自由の原因であるので、自由を不自由にして行くのであろうか。今回の法案への我々の訴えは大事である。国会では強行すれば通るであろうが、我々がそれだけの数で反対を唱えることは、今後の選挙に影響するであろう、と信じたい。一般選手は、シーズンオフになると、身体は鈍くなり、良いスイングを忘れてしまうのである。特に日本人は、四季とともに忘れてしまう。自由は遠くなってしまう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO63570610U3A201C1MM8000/