「ツワネ原則」という考えとは縁遠い日本

(日経「春秋」2013/11/28付) 南アフリカ共和国の首都といえば、プレトリアである。この地名は、都市の中の一地区を指している。2000年、プレトリアを含む広い地域が合併してツワネ都市圏が発足した。いっそ首都の名前もツワネに。そんな機運もある。それはともかく、ツワネという地名は日本でも、にわかに知られるようになった。「ツワネ原則」によって。安全保障にかかわる国家機密の保護と、知る権利や表現の自由といった基本的人権とのバランスをどうとるか。この難題に取り組もうと、世界の研究機関や非政府組織(NGO)がツワネに集まって論議した成果が「ツワネ原則」である。残念なことに、特定秘密保護法案をめぐる衆院の審議は、ツワネ原則を生かしたとは言い難い。監視機関については付則であいまいな文言を連ねたまま、法案を通過させた。政府側の答弁は二転三転した。「審議を尽くした」とは、とてもいえまい。
(JN) 私どもの国家は民主主義国家であるはずだが、それは与えられた民主主義であり自分たちで勝ち取ったものではない。いわば与えられた飴であり、私たちは真剣に民主主義を行使していない、否、民主主義を知らない。国会議員を選ぶにもその選びに自分たちが真剣に選ばず、マスコミに踊らされて票が動く。その結果はもうわかっているだろうに、力の論理に負けていく。私たち自身が民主主義を知らないから、「ツワネ原則」のような考えは及ばない。今後また上手に飴を渡され、与えられた自由を手放していくのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO63252510Y3A121C1MM8000/