「田毎の月」と自由貿易

(日経「春秋」2013/10/20付) 「田(た)毎(ごと)の月」、山あいの農村に並ぶ棚田の一枚一枚に、月が映って浮かび上がるさま。姨捨はその光景の名所として知られる。芭蕉や一茶ら多くの俳人が訪れ、ここで名月の句を残した。大小合わせて2千枚ほどもある。散策する人を追いかけて、次々と現れるのが「田毎の月」である。自由貿易の波が押し寄せ、棚田の命運はどこへ向かうだろう。大きな機械で効率よく農作業をすることはできない。けれども意外にも、広大な平地の稲作より有利な面があるという。標高の差があるから、季節の訪れも微妙に違う。田植えや収穫の時期がずれ、2〜3カ月をかけて少ない人手で少しずつ作業できるからだ。棚田は、フィリピンや中国雲南省にも名勝地がある。山間地で食糧を生み出し、併せて治水の役目も果たす紀元前からの人間の知恵である。安倍晋三首相は「息をのむほど美しい棚田の風景」と語った。弱いから守るのではなく、さらに技を磨き、強みと詩情を放つ日本の棚田を見たい。
(JN) 日本農業が弱いわけではないだろう。保護政策が日本の農業を延ばした面もあるだろうが、基本的に保護政策は、その産業の力を落として行く。国は農業について、衰退させてはならない使命はあるが、保護政策は考え直すべきである。資本主義の考え方は投資であろう。国は金だけだし、地方がそれぞれに投資を行う。地方の行政にもっと考えてもらい、自分たちの産業を発展させて欲しい。それが「息をのむほど美しい棚田の風景」をさらに磨きをかける力としよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO61352600Q3A021C1MM8000/