時代の勢いが、司法を動かした

(日経「春秋」2013/9/5付) 60年前の秋、米国の第14代連邦最高裁長官にアール・ウォーレンが就任した。アイゼンハワーは、ウォーレンが保守的な人物だから冒険はしまいと、信じて大統領は彼を指名したという。しかし、その「期待」は大きくはずれ、人種差別や女性の権利などをめぐる裁判で、「ウォーレン・コート」は次々に画期的な判断を下したのだ。これは長官の個性のせいばかりではなく、米国が抱えていた構造的な問題に切り込もうとする時代の勢いが、司法を動かしたに違いない。きのう、わがニッポンの最高裁大法廷は婚外子の相続差別を違憲とする決定を出した。明治以来の、民法の古めかしい条文が戦後68年にしてようやく消える運びとなる。竹崎博允長官を含む裁判官全員一致で違憲だ。時代がその変化を導いた。そういう潮流を感じ取って制度を改めていくのは立法府の仕事だが、そこが動かないから司法が踏み込むことになる。年内にも判決が出るとみられる衆院選1票の格差」もまた、そんな流れのなかにあるのだ。「竹崎コート」の存在感は政治を問うてやまない。
(JN) 家の問題と財産の問題、このために戦後68年経ちながらこの婚外子は差別が継続していた。やっと時代もそれを認めたというが、遅すぎる。まだこういう案件があるのであろう。そのためには、国は役に立たないわけであるから、誰かがそれをやらねばならないのである。ところで、これに従い、法律の改正は何時なされるか。政治家の皆様は、ご理解されているのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59317410V00C13A9MM8000/