彼らは多感な年ごろで敗戦を迎えた世代でもあった

(日経「春秋」2013/8/17付) 半世紀前、東京・西新宿の台湾料理店で日本SF作家クラブの設立発起人会が開かれた。当時は、SFに対する無理解や偏見は随分強かったらしい。そんな逆風に立ち向かい、いわば未踏の地を切り開いたパイオニアたちだった。彼らは多感な年ごろで敗戦を迎えた世代でもあった。だからだろう、日本に対する複雑なまなざしを感じさせる作品が少なくない。たとえばクラブの初代事務局長をつとめた半村の長編「産霊山(むすびのやま)秘録」。日本史を読み替える伝奇SFだが、東京大空襲の惨禍と戦後社会の混乱を描いた章は読み進むにつれて苦い思いが募る。最後は物語を断ち切るように現実にあったことを「記録」して幕を閉じる。東京大空襲を指揮した米国の軍人、カーチス・ルメイが戦後、航空自衛隊に協力したとして日本政府から勲章をおくられた記録と、大空襲の被害の記録と。半世紀の間に、SFは日本に根を広げた。パイオニアたちのまなざしは今、どうだろうか。
(JN) SFは単なる絵空事ではなく、現在風刺であることは、今も昔も変わりない。あまりに悲惨な出来事をSFの場を借りて描写することで、無知な私にも読む機会を与えてくれるのであろう。1963年に日本SFクラブが発足し、そして、カーチス・ルメイは叙勲と。私たちは、ドレスデン大空襲、東京大空襲ベトナムの北爆等、忘れてはならないことが山ほどある。それをSF作家たちは様々な技法を使ってこれからも、呼び起こしてくれるのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58603550X10C13A8MM8000/