「俳優は先がわかってちゃいけない」「千里眼みたいな芝居をするな」

(日経「春秋」2013/7/17付) 勝新太郎は「俳優は先がわかってちゃいけない」と言った。17世勘三郎の「千里眼みたいな芝居をするな」といういましめた。台本を読めばわが身の行く末が知れてしまう。実際にはそんな人間はいやしないのに。知れぬ行く末を思って、人は希望と不安の間を行ったり来たりする。勉強でも、あるいは貯金やトレーニング、すべては未来から少しでも不安を消し去ろうとする営みなのかもしれない。それがあらぬ方へ向いたのだ。陸上短距離の歴史に名を刻む錚々(そうそう)たるスプリンターから相次いで禁止薬物の反応が出たという。米国のゲイ、ジャマイカのパウエル両選手はどちらも超一流である。2人とも30歳。10秒足らずの間に爆発させねばならぬ肉体に迫る老いへの不安が頭をよぎったのだろうか。台本がないからこそスポーツは人生と重なって見える。不安を消そうという営みは報われることも報われないこともある。ドーピングの行く末だけははっきりしている。勝者の栄光とも敗者の絶望とも無縁の競技人生の破滅。千里眼でなくたってそれはわかる。
(JN) 勝ちたい。皆から期待されている。もっといい成績を出したい。悩んで悩んで、そしてドーピングをしてしまった。不正行為であり、勝つ保障もなく、身体にとっても良くないのにドーピングをする、この魔力は何であろうか。人の欲望のアンバランスであろうか。その僅かでも勝てるという可能性に未来をかける愚かさであろうか。栄光には努力が必要なはずだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57422360X10C13A7MM8000/